参加・賛同の呼びかけ
今年は現天皇の明仁(あきひと)が即位してから20年という年にあたります(おまけに結婚50周年とか)。今年いっぱいはまたマスメディアなどを通して、この「20年」と「50年」にかこつけた「奉祝」キャンペーンや皇室中心の回顧ムードが麗々しく脚色され、これでもかというほど流されるに違いありません。
実際にこうした動きはすでに始っています。昨年6月には、経団連会長である御手洗冨士夫を名誉会長に据えた「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」が発足し、また超党派の国会議員による「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」(会長はあの森喜朗)も10月につくられました。このふたつは手をたずさえて、1989年の「即位礼正殿の儀」から20年目となる今年11月12日に、政府主催の「奉祝国家式典」・皇居前広場での「国民祭典」の開催を目指し、またその日を「臨時の休日」とする法案上程の準備も同時に進められています。昨年の9月27日には大分と大阪で、また12月19日には東京で、そして長野など各地でもそれぞれ「奉祝」のイベントが開かれています。
「奉祝委員会」の会長には日商会頭の岡野正、代表世話人は神社本庁総長である矢田部正巳、「議連」のほうは「日本は天皇を中心とした神の国」と思い込んでいる元首相をはじめ、海部俊樹などの首相経験者や、細田博之、鳩山由紀夫、北側一雄、さらに綿貫民輔、小沢一郎、太田昭宏など、保守系与野党の幹部がずらりと名を連ねています。文字通り、政・財界、そして神道系宗派が一体となって、11月12日の「皇居前祭典」をゴールとした「国民がひとしく祝う奉祝運動」を繰り広げようという算段です。
けれども、こうした官・民の上層部が熱をあげて音頭をとったからといって、私たちにはこの「20年」や「50年」を「こぞって祝う(祝わなくてはならない)」理由がどこにあるでしょうか。
この20年は、まさに右に名を挙げたような人たちが企業利益のみを追求し、それを政策的に支えて、人を切り棄て、自然環境を破壊し、自衛隊の海外派兵を進めてきた20年にほかなりません。そればかりか、20年前は昭和天皇が死去し次代が世継ぎをするという「喪」と「祝賀」が交錯するなかで、そのムードをマスコミが煽り立てていました。そしてそうした息苦しい雰囲気に疑問を感じ異議を唱える者たちの声を、天皇主義右翼が前面に立って封殺しようとし始めた時期でもありました。
いま私たちが冷静にその「50年」なり「20年」を振り返ることは、直接の戦争責任者である昭和天皇が、戦前─戦中─戦後の責任を何らとらないままに死亡し、その死をいいことに、それに頬被りをしたまま代替わりをしてゆく天皇制とは何なのかを、あらためて問い直すことではないかと思います。
もうひとつ重要なことがあります。それは、明仁天皇がすでに高齢であり(75歳)、どうやら体調を崩しているらしいということです。「平成は長くない」というのが、この「奉祝20年」を準備している者たちの本音でしょう。そうすると今度の「奉祝運動」は、明仁の次世代以降の天皇制をどう展望していくのかという意味も含まざるを得ないということになります。つまり「平成Xデー」とそれ以降を見据えたものになるということで、今回の「奉祝20年」もそれなりの危機感をもって準備が進められていることは容易に察しがつきます。それが却って熱を帯びた天皇制賛美の一大キャンペーンになるだろうということも。
現在、大手資本は「百年に一度の経済危機」を口実に労働者のクビを切りまくり、大量の失業者を作り出しています。「格差社会」はますます広がるばかりです。天皇は折に触れそうしたことを「気遣う」発言をしていますが、それはこの社会の矛盾を糊塗する役割りを果たすばかりか、「格差」の頂点にいる自身の存在をごまかすものでしかありません。ましてや、この11月12日の「国民祭典」をピークとした祝賀ムードの演出とその強制は、この社会のありかたに疑義をもつ者の口を封じることになりかねません。
私たちは11月12日の政府主催「国家式典」・皇居前「国民祭典」とそれに連なる「奉祝20年」の動きに異議を唱え、「こぞって祝う」ことを強いる「休日化法案」に、はっきりと反対します。全国各地で「反奉祝」の運動をつくりあげましょう。そのための「共同行動」を提案します。ぜひ、ご賛同ください。
それぞれの立場から創意工夫に満ちた、存在感ある運動を繰り広げていきましょう。
2009年2月28日
〈天皇即位20年奉祝〉に異議あり!え~かげんにせーよ共同行動