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投稿者 スレッド
nomad
投稿日時: 2004-4-15 2:03
管理人
登録日: 2004-1-1
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投稿: 54
イラク派兵と靖国を問う 2・11反「紀元節」集会
 二月十一日午後、渋谷勤労福祉会館で今年も反「紀元節」集会とデモが行われた。
 集会開始時間前後、右翼の街宣車が会場前に集まって大音響で「反天連粉砕」とがなり立てるという、最近では「おなじみ」の光景にこの日も出くわした。だが、それを跳ね返すような力強い司会の挨拶と参加者の拍手によって、集会は始められた。
 集会では、まず南守夫さんの話を聞いた。南さんは、一九〜二〇世紀の間の欧米での戦勝記念碑から「無名戦士の墓」への変化を指摘しつつ、「無名戦士の墓」すら越える可能性を持つ施設として、ドイツのノイエ・ヴァッヘを取り上げた。一方日本では「無名戦士の墓」ですらない靖国的なるものがいまだ支配的だ。そうした状況を考えれば、「国家による追悼」全てに反対して靖国的なるものを結果的に延命させてしまうのではなく、靖国神社をまずは退場させることを優先課題にするべきではないか、と南さんは述べた。主催者の立場との違いをあえて強調しつつ、まずは靖国を否定する一つの「手段」として、国立の追悼施設の可能性を捨てるべきではない、と南さんは主張した。
 続いて森一敏さんの話を聞いた。森さんは、最初に自分の経験・経歴を論じ、「金沢」という場所で天皇制を問うことがどういうことなのかを具体的エピソードから説明した。そして護国神社内に建てられた「大東亜聖戦大碑」をめぐる問題とそれの撤去を求める運動について紹介した。この問題については、『反天皇制運動PUNCH!』二〇〇三年十月号掲載の森さんの文章に詳しいが、この記事以降の動きとして、石川県が敷地の地上権を護国神社に返還し、「大東亜聖戦大碑」の撤去についての責任逃れをしたと述べた。そして、粘り強く運動を続けても石川県内部だけにとどまっていては力不足なので、全国の運動との連帯を強調して話をしめくくった。
 講師二人の話はそれぞれ興味深かったが、特に南さんがあえて異なる立場から問題提起をしたにもかかわらず、時間の関係で討論できなかったことはやや残念だった。
 集会後は宮下公園までの渋谷一周デモを行った。参加者は約一四〇名。
(水島たかし)
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