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投稿者 スレッド
nomad
投稿日時: 2004-4-15 2:05
管理人
登録日: 2004-1-1
居住地:
投稿: 54
「昭和天皇記念館」反対講演集会「明治期民権運動弾圧と多摩の天皇制」
 二月二二日、立川の高松公民館で、佐藤文明さんの講演会を開催した。七〇名程が狭い畳敷きの部屋に集まった。
 佐藤文明さんは多摩で生まれ、多摩の歴史にも詳しい。自衛隊がイラクに行き、「昭和天皇記念館」の建設が本格化される中、なぜ多摩、それも立川の自衛隊駐屯地ゲートに寄り添うように「天皇記念館」が建設されるのかを、多摩の歴史から捉え直してもらった。
 江戸時代、多摩は武士のいない幕府の直轄領で、豪農達が多摩独自の秩序を担った。彼らは、自らの管理の及ぶ領域の治安を保つため農兵を組織していく。幕末に京都へと派遣された新撰組も農兵から構成され、豪農たちが資金提供をした。
 明治維新は多摩にとって、こういった擬似共和制的な自治の「瓦解」として捉えられた。土地の私有という概念が押しつけられ、地租により農民の生活は困窮する。多摩では反政府意識が高まり、かつての農兵による困民党の蜂起、自由民権運動と反政府運動が頻発する。明治政府の多摩への政策は、一貫して自由民権運動とそれを担った豪農を分断し、最大限天皇を利用するものだった。東京への遷都、豪農達の間に位置する多摩丘陵での天皇のうさぎ狩り、多摩川での鮎釣り。新撰組の顕彰碑建設への妨害。さらに三多摩を神奈川から東京に編入し、両議会内で自由党の勢力を少数にする。多摩丘陵に皇室の墓が集中するのも、近藤勇の実家、宮川家に用地提供を求めたことによる。やがて多摩には多くの基地と軍隊が配置され、戦後は米軍と自衛隊が進駐した。昭和記念公園、「昭和天皇記念館」設立も、こういった占領と抵抗の歴史のもとで位置付けられるという。集会に集まった地元の歴史にうとい面々にとっては、とっても「へ〜」な内容で勉強になった。
 集会後、自衛隊駐屯地と「昭和天皇記念館」建設予定地に向けてデモが行われた。基地前の緑地帯で右翼が妨害してきたが、それほど混乱もなくデモを終えた。
(「昭和天皇記念館」建設阻止団=宗像充)
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