去年一二月一八日の、七〇歳の誕生日にあたっての記者会見で、天皇アキヒトは「国立おきなわの開場記念公演を観ること」と「行ったことのない宮古島と石垣島を訪問すること」を目的に沖縄に行き、「国立沖縄戦没者墓苑」にも参拝すると発言した。
一月二三日から二六日までの訪問である。
天皇アキヒトは、ここで、この沖縄県の要請を受けて文部省の提案で始まった、六つ目の国立劇場である「おきなわ」について以下のごとく語った。
「非常に多くの血が流された」沖縄戦があり、「日本復帰」が平和条約が発効してから二〇年後であることをふまえ、「島津氏の血を受けている者として」心を痛めながら沖縄を深く理解しようとつとめてきた自分が、「文化財が戦争でほとんど無くなった沖縄県に組踊ができるような劇場ができればと思って、そのようなことを何人かの人に話したことがあります。この劇場が、この度開場記念公演を迎えるということで本当に感慨深いものを感じています」。
自分のアドバイスで、この沖縄固有の伝統芸能を守り育てるための国立劇場は、できたのだと言っているのだ。
私たちは、こういう天皇の発言に、強い怒りをおぼえる。沖縄の多くの「文化財」はもちろん、多くの人間を殺傷・破壊した沖縄戦は、天皇ヒロヒトらの「国体護持」(天皇制延命)の約束を連合軍からなんとか取りつけてからという敗戦の引きのばしの政策の結果がもたらしたものであることを、私たちは知っている。さらに、天皇制国家は、植民地支配と侵略戦争のゴールであった沖縄戦に沖縄の人々を狩り出して、敗戦した後、自分たちの延命のために沖縄を米軍が自由に使うようにアメリカ国家に差し出す、天皇のメッセージを発し、現在の「基地の中に沖縄がある」ような状態をつくりだしたことをも、よく知っているからである。
「流された血」に対する責任が、もっとも重いのは天皇制である。その天皇が、こうした偽善的な言葉を吐くのは許されない。
今年元旦、小泉首相は戦死者を「英霊」として祀り、侵略戦争を「聖戦」と賛美している靖国神社に、また参拝した。そして天皇アキヒトは、都道府県別の「英霊」追悼の「慰霊塔」が立ち並ぶ、沖縄戦の激戦地跡である摩文仁の丘の中央につくられた「国立沖縄戦没者墓苑」で追悼のセレモニーをまた、くりひろげるのだという。はじめていくという宮古島、石垣島も米英軍の激しい攻撃にさらされたかつての戦地である。
こういう場所へ天皇が行き、戦争被害者を追悼してみせる行為は、かつての戦争責任、そしてそれを取らずにいるという戦後責任を曖昧にし、清算してしまおうという政治的な行為である。
そして、現在、あらためての天皇訪沖は、小泉首相の靖国参拝が新しい〈戦死者〉がうまれる可能性が大きい、押し進められているイラク派兵政策と対応しているように、このイラク派兵と対応している天皇政治であることも、あまりにも明白である。
過去の大量の流血の歴史の責任を隠蔽し、新たな戦争のための沖縄訪問に、私たちは反対する。それは、沖縄の固有文化をもちあげヤマトに包摂し、かつての戦死者をたたえ、民衆を新たな戦争に動員する政治セレモニー以外のものではない。
私たちは、沖縄現地で、天皇来沖に抗議の声をあげている人々との連帯をめざし、
天皇(制)の政治的な動きに持続的に対決し続ける。
ともに、闘おう!
二〇〇四年一月二〇日
反天皇制運動連絡会